色のない世界で何が聞こえる? 音のない世界で何が見える?

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色の無い世界

photo by VinothChandar

どうも「マイルド男子」こと、だいちゃん(∀)です。

皆さんは「障害者」を可哀想だと思いますか?

私自身が1級身体障害者なので色々な障害者と関わる機会が多いのですが、どうも生まれつき障害をもって生まれてきた人の中には「障害」をあまり悲観していない人も多いことに気がつきました。

勿論、障害が原因でイジメなどに遭うとその経験が「トラウマ」となり、自分の「障害」を、自分を障害者として生んだ「親」を恨むことになるでしょう。イジメを受けなくても恨んでいる人もいるかもしれません。

しかし、

「音のない世界で見る自然界の景色」

を想像してみると、健常者として見るその景色より、まるで全身に「音」が響き渡るが如く広がり、感動を覚え、時には涙が出てくることもあるのではないでしょうか。

「感動を、人の優しさや温もりを忘れた現代の健常者」

のほうがよっぽど「可哀想」なのではないでしょうか。

器官に一部障害がある人は、障害があるからこそ感受性豊かになり、「人の優しさ」「温もり」などをしっかりと感じ取ることが出来る。これはある意味”才能”と言っても過言ではないでしょう。

耳の不自由な人の聞く「音」もそう。

人の「優しい聲(こえ)」一つ一つが心に染みわたり、言葉からその人の人柄を想像する。

見た目に囚われない分、「本当の人の価値や心」を見抜くことが出来る。しかし逆を言えば、憎悪、偏見、上辺だけの心など、人間の「負」の部分も強く感じ取ってしまうような気がします。

私の障害は内臓疾患です。耳も聞こえるし景色も見える。

これらの障害の当事者でもない私がこんな記事を書いていいものか迷いましたが、どうも彼ら(彼女ら)を見ていてもそこまで不幸そうには見えない。むしろ現代に生きる健常者のほうが毎日、顔を暗くしながら電車に揺られ通勤している。

そんな「健常者」と「障害者」はどちらのほうが不幸なのでしょうか?

私の知っている耳の不自由な障害を抱えた人は、生まれつきに耳が聞こえないので当然、日本での会話だって不自由している。

そんな状態でも「世界」を旅しています。

手話は海外に出るとやり方が違うので日本の手話を外国で使うことは出来ません。コミュニケーションはボディランゲージや顔の表情などで取っているのか、私には分かりません。でも、ただただ、

「凄い」

の一言に尽きます。

音が聞こえない分、日本内の景色だけでは飽き足らず、世界中の景色を見て回りたかったのかもしれません。それは当事者にしか分かりません。

でも、そんな「挑戦する心」は健常者も、そして「私」も見習う必要があるような気がしました。

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最後に

私は目の不自由な人の奏でる「音楽」を聞くのも大好きです。

理屈っぽい私がこんなことを言うのはなんですが、その音楽には普段、顔に出すことの出来ない感情がそこに現れ、その人の人間性、性格が、ただ口頭での会話を通じて感じるものよりもハッキリと現れるからです。(目の不自由な人は顔の表情を作るのが苦手な人が多いです。)

この様に多様な才能を持った障害者がいる一方、その人の能力を引き出すことの出来ていない今の世の中が、日本がある。

障害者雇用が進んでいないことがその証です。

「障害」という言葉は、精神や身体に現れたものではなく、

「健常者」と「非健常者」の間にあるものなのではないでしょうか?

だいちゃん(∀)

■参考リンク

それはセクマイと関係ない話 – 未解決の文字

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uwasanoaitsu

フリーライター・ハイパーメディアブロガー 1級身体障害者 年間500冊ほどの本を読む読書マニア。勉強好きの資格マニア。簿記や法律に強い。 暗い記事も書くけど、なんだかんだで自分の事をスーパー障害者だと思ってる変な人。お笑い好き。 炎上芸人。インターネット上の嫌われ者www

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