慢性腎不全の身体を”犠牲”にして手に入れた『自信』

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photo by Andrew Pescod

僕は小学校6年生の時に「IgA腎症」という慢性腎臓病の診断を受けました。

小学校6年生の終わり頃だったので、学校が楽しくて仕方のない時期に検査の為に入院しなければいけなくなったのが、凄く辛かったなってのを覚えているかな。

でも、僕の通っていた学校、というよりクラスは良い奴が多かったので、クラスの大勢が病院にお見舞いに来てくれたりしていたので、辛い病院生活もなんとか持ちこたえることが出来た。

小学生での入院のストレスは、今思うと大人になってから入院するのとは比べ物にならないくらいのストレスがかかる。それを早い子では生まれた時から病院から出たことの無い子なんて子もいる。(実際、僕が病院の中で友達のなった女の子で、白血病でずっと入院している子がいた。)

検査が終わり、退院して、春休みには普通通り残りの休みを友達とボーリングに行こうと思い、小児科の先生に許可を貰いにいったら、一言

「ダメだ。今は身体をゆっくり休めることに専念しなさい。体育ももちろん見学しないとダメだよ。」

と、今思えば正論なんだけど、当時小学校6年生の僕には、たかがボーリング如きの運動をなんで制限されないといけないんだ、という反発心でいっぱいだった。

その場で、泣きじゃくりながら小児科の医師に文句を言い続けていたのを覚えている。当然、答えはNO。

でも、小学生の僕が友達との思い出を放棄するわけもなく、先生に内緒で春休みを満喫した。

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学校に入学して

そして僕は中学生になった。

中学生になっても、運動はダメ。体育の授業は見学しなさいと医師に言われていた。でも、下手ながらもサッカーが大好き、マラソンが大好きと、腎臓病を抱えている患者で一番やってはいけない「激しい運動」を好んで今までやっていた僕。それでも健康の方が大事だと思い授業はいつも見学していた。

すると、心無い一部のクラスメイトが、

「なんでいつもサボってるの?」

と言ってくる。きっと同じ病気を幼少期から抱えている人(まぁ、ほとんどが年寄りのかかる病気なんだけどね 笑)にはこの気持ちは分かるんじゃないかな。どれだけ惨めで辛いのか。

僕は負けず嫌いだったから、

「そこまで言うならやってやるよ!!」

と勢いづいて、体育を普通通り受けるようになってしまった。

それどころか、運動部に入るのすら禁止されていたにも関わらず、所属していた軽音のバンドの部活を勢いで辞め、大好きなマラソンをするために、顧問に交渉しに行ったんだ。部活に入れて欲しいと。

しかし、答えはNO。学校としては、何か問題が発生するとマズイから、病気ということを知っている以上、運動部に入れるわけにはいかない、と。じゃあ、なんで体育は許してくれたのか、矛盾しているよなって思ったけど、僕はそこで諦めなかった。

マラソン大会

「マラソン大会で良い結果を残せば、先生も気が変わるかもしれない。」

そういう淡い期待を抱きながら、僕は毎日、自主練習をマラソン大会に向けてかさねていた。

ノルマは1日9キロメートルのランニングと筋トレ色々、坂ダッシュなどなど。ちゃんとしたトレーニング法なんて知らないから、取り敢えず思いついたことを練習していった。こんなことをすれば、腎臓がどんどん悪くなるだけなのに、僕はそんなものよりも目の前の「青春」にこの体を捧げたかった。

それだけ、病気だからといって好きなことを我慢するということは辛いことなんだ。

理屈では、「身体のほうが大切」そんなことは分かっている。でも、青春は今しかない。僕は病気を理由に心無い一部のクラスメートからの罵声を我慢しながら、好きな運動も出来ない中学生活なんて送りたくなかったからね。

そこまでして頑張ったかいがあったからなのか、僕は帰宅部で自己練習、しかも腎臓病持ちにも関わらず(腎臓病持ちだと普通の人より疲れやすい。)、学年で3位という成績を収めることが出来た。

最後に

確かに、腎臓病を抱えたままマラソンのようなハードな練習を行うのは自殺行為だ。でも僕は、このたかが「3位」という結果が、大人になった今でも「自信」という形で自分の中に残っている。

無理だと決めつけずに、頑張れば、努力すれば病人でも結果を出すことが出来る。

僕は今でもこの頃のことを鮮明に覚えている。透析導入は無理をしすぎたせいで通常よりも早まったけれど、

「後悔はしていない。」

だいちゃん(∀)

 

自分が障害者になるって知った時は全く実感がなくて、体験して初めて分かったこと。

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だいちゃん(∀)

フリーライター・ハイパーメディアブロガー 1級身体障害者 年間500冊ほどの本を読む読書マニア。勉強好きの資格マニア。簿記や法律に強い。 暗い記事も書くけど、なんだかんだで自分の事をスーパー障害者だと思ってる変な人。お笑い好き。 炎上芸人。インターネット上の嫌われ者www

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1 個のコメント

  • はじめまして。長文失礼いたします。
    うちも、6年前の2008年の中学1年生の1学期が始まって間もないある日、中学校の尿検査の1次検査で異常、2次検査(精査)でも異常(潜血6+)となり、かかりつけの医院で、放課後3次検査した時も、血尿6+と診断され、かなり重度といわれる3+という値をも吹き飛んでしまうような、重篤な血尿が出てしまいました。たしかにいつもよりだいぶ濃いオレンジに近い橙褐色の尿でしたが指摘されるまで気づきませんでした。すぐに紹介状を書かれて、翌日も学校があるにもかかわらず大病院に朝一で行きました。やはり大病院でも6+という値が続き、また、すぐに採血もされて、血圧もいつもより高め、また、溶連菌の菌を採る検査という事で、喉のほうを長い綿棒で引っ掻き回されたり、大病院の初日は大変でした。また、すぐに別の日取りで腎生検の代わりに腎臓のエコーをとるなど、そのあとも大変でした。初日や腎エコーをとるあたりの数週間はたしかに血尿が進行して、褐色度がさらに強まり、濃褐色の血尿が出てきていました。また、尿量も減ってしまいました。
    診断は溶血性連鎖球菌感染症後急性糸球体腎炎でした。この病気に気づかないまま、尿検査で異常が出て、大病院を受診するまで約1か月間、重篤な血尿が発生していました。
    そして2年生の1学期までの間、1年超に及ぶ療養生活が始まりました。
    うちの場合は年齢的に中学生だった事と、蛋白尿が当初は出てなかったこと、中学生という大事な時期なので、入院などはせずに、できる限り学校に通えるようにしてもらえるようになりました。ただ、数週間に一度のスパンで大病院に行って尿検査や採血、血圧測定の腎機能検査や診察を受けないといけないため、病院の日は学校を半日遅刻していました。また、入院せず、学校も普通に行けるものの、食事や運動の制限は若干かけていたので、腎機能の上下動によってきつくなったり、軽くなったりしながら、進級するくらいまで続きました。
    次第に、潜血が4+くらいに落ち着いてきたのですが、蛋白尿が2+出てしまい、腎機能が逆に悪い方向にいってしまい食事や運動の制限がきつくなった時はつらかったです。部活は男子卓球部に入っていて、この病気になっても練習していましたが、できなくなる時もありました。
    でも2年生に進級するころには蛋白尿もなくなり、潜血も3+、2+、1+、±と次第によくなり、尿の色も褐色ではなく、少し橙に近い濃い黄色になってきたり、快方に向かい、食事制限や運動制限もゆるくなってきて、2年生に進級した1学期が終わる頃に完治という扱いになりました。
    ただ、腎機能が急性腎炎になる前ほどは回復しなかったり、慢性化して、慢性腎炎に移行してしまう可能性も少なからずあるということもあって、普段通りの生活ができていたとしても、いつ再発したり慢性化しているかわからないのが不安で、6年たった今でも、尿の色の変化などは結構気になってしまいます。

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